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あの時の葛藤
5月10日、「妥協する勇気も必要なんかもって思った」っていう話を書いた。

その時にはまだ詳しく書く勇気がなかったこと。
少し整理しながら、書いてみようかなと思う。


タンザニアで、一緒に活動していた女性グループのひとつ、バンブーグループ。
元々、私がボランティアとして派遣された要望書には、「竹工芸グループが作る工芸品を輸出化すること」とあった。
だけど、私が到着したとき、「え?竹工芸を編める人が来るんじゃないの?」と口々に言われた。
どうやら、グループとタンザニア政府、タンザニア政府と日本のやり取りの中で、ミスコミュニケーションがあったらしい。
当然、「で、あなた、何ができるの?」となる。
私は、「まず、グループのこと、竹工芸のことを教えてください」と言って、グループの皆と心許せる仲間になることにした。


一緒に竹を取りに村へ行ったり、メンバーのお祝い事などの行事にも参加した。

週に何度かグループに通うこと一年以上。
私は、成果がすぐに見える、簡単なことだけをやっていた。


すでにあったグループのホームページを、改良してみたり。
すでにあった竹工芸品のショールームを、変えてみたり。
客入りの少ないショールームを、様々なハンディクラフトが購入できるギフトショップにしてみたり。
そこに観光情報や地域名産を置き、魅力あるショップにしてみたり。
ディスプレイや接客を教えたり。
帳簿付けを一緒にしたり。
手工芸が得意な友達がムベヤを訪問してくれたときには、新商品のアイデアをもらい、ママ達に教えてもらったり。
効果的な計画があったとは決して言えへんようなことを、試行錯誤、とにかくやっていた。



何か既存のものを変える時は、いつもグループの中心であるリーダーママに確認していた。
リーダーのママに話を持っていっていたのは、他のメンバーに相談すると必ず「ママに聞いて」という返事が返ってくるからだ。
ママはいつも「ヨーコのやることは、すべて私たちのためになっているから、ぜひ、どんどん進めて!」と言っていた。
だけど、私は、あまりその言葉が嬉しくなかった。
そう言われると、一人で活動している気がしたから。
「ヨーコがやることを一緒にやりたい」「これ、どうやってやるの?」と言ってもらえる日を、私は待ち続けていた。


グループのメンバーは目に見える変化に喜んでいたけど、根本的な解決になっていないと感じていた。
そもそも、「輸出化したい」とか、「売り上げを増やしたい」とか、「自立しないといけない」とか、「自分たちはこうなりたい」ということを、ママ達自身が考えていないようだった。
要請にあった「輸出化」「フェアトレード化」「ブランド化」はどれも、援助していた外の人間(と、リーダーママ)の考えだったようで、他のメンバー達は肝心の「経営」の部分を、外の人たちに頼り切っていた。


これが「会社」やったら、リーダーママとパトロンが経営者として責任持って、進めていけばいいんかもしれん。
でも、グループの形態はあくまで「組合」。
メンバー一人ひとりがグループに出資して、活動を通して得た利益はメンバー全員に平等に配当されるもの。
リーダーママには、雇用する権利もなければ、解雇する権利もない。
組合として平等に活動しているグループのメンバーが、常に高いモチベーションを持って、グループの経営を行っていくというのは、限界があるなぁと感じることが多々あった。
それでもなんとか、メンバーに自分たちで「自立の道を考えてもらわなければ。」と思っていた。


それで行ったのが、「ママたちに考えてもらうワークショップ
配属先カウンターパートであるメリナのおかげで、とてもいいワークショップができたと思う。
ママ達の目つきもワークショップ前と後では変わっていたし、自分たちでアクションプランを立て、私にも積極的に質問してくれるようになった。



このまま順調にいけば、色んなことを吸収してもらえるかもしれん。
ワクワクしながら、グループの元へ通っていた。
そう思ってた直後の出来事。


突然、これまでグループを金銭的に援助していたパトロンが、援助の打ち切りを申し立てたのだ。
これまでに何度も打ち切りを検討していたのだと聞いたが、本当の理由はわからない。

びっくりはしたものの、私は、これはママ達には良いチャンスだと思った。
これで自立への道をもっと自分たちの問題としてシリアスに考えないといけなくなったから。

でも、その日のママ達はパニック状態だった。
ミーティングで発された言葉に、私は驚いた。
「ヨーコ、なんで勝手に変えたの?」「なんで私たちに相談してくれなかったの?」「なんであと数ヶ月で帰ってしまう時期になって、色んなことを教えてくれるようになったの?もっと早く始めてくれれば良かったのに。もう遅いよ」
私への非難の言葉がぐんぐんと飛んできて、その言葉一つ一つが鋭いナイフのようで、正直、私は傷ついた。
これまで築いてきた関係も、やってきた活動の意味も、すべてガラガラと壊れていくような気分。
メンバー達は、私が色々と変えてしまったことで、これまでグループを援助してきたパトロンが嫌な気分になり、援助の打ち切りを決めたのだと思っているようだった。
パトロン自身は、私に優しい言葉をかけてくれていたし、真相はわからないけれども、ママたちは私のせいだと信じているようだった。

これまでキチンと、十分なコミュニケーションをとって活動をしてきたつもりだったから、すごくショックやった。
何も伝わっていなかったんやって思った。
皆が敵になってしまったように思えた。


スワヒリ語とか言語の問題じゃなくて、彼女たちの教育背景とか文化背景に考慮したコミュニケーションを、もっととっていたら、違ったんかな。
どこを間違えてしまったんやろう。
やっとママ達自身が前に進める活動ができてきたと思っていたのに。


それからいっぱい泣き、悩んで、考えて、メリナに相談して、アドバイスをもらい、勇気を出してグループを訪れ、話し合いし、それでもわかり合えなくて、家に帰って泣き、、、、の繰り返し。


他にも色んな問題が一気に重なって、私と一部のグループメンバーの関係は、完全にこじれてしまった。
嫌ぁーな空気を変えたくて、自分に非があった部分は、謝った。
表面上は仲直りしたけども、私の心は晴れないままだった。
努力も空しく、時間は過ぎていき、そのグループとの活動は終わってしまった。



反省すべき点はたくさん。

もっと早くにグループの課題に気づいて、メンバー自身に考えてもらう機会を与えてあげていたら。
もっともっと色んなステークホルダーとコミュニケーションをとっていたら。


未だにわからないこともたくさん。

そもそも、メンバー達の目標って、稼いで、自立することなんかな?
私が余計なことしないで、ずっと援助をしてもらっていた方がメンバーには良かったんかな?
このグループと活動するのは最初から難しかったんかな?


「お金を貰うよりも、知識を貰った方が、後でためになるから」

そう言ってくれていたのに。

「ヨーコは、ソーダ1本を買ってくれたことすらない」

と、言われた。


感謝の気持ちを伝えるときや、何か「してあげたい」と感じたときには贈り物をすることはあるけれども、ただただ乞われたとき、私はモノをあげることはしない。(分け合うことはあるけれども。)
私がしてきてことは、間違ってたんやろうか。

私はグループに迷惑をかけただけやったんやろうか。



今考えると、自問自答の二年間やった。



二年という限られた時間の中で、どれだけスワヒリ語を話し、一緒にご飯を食べ、時間を共にしても、私は結局、グループにとっては外部者でしかなかったんやと思う。
今考えると、「いつか帰ってしまう」私に大して、置いて行かれる寂しさと怒りのようなモノをメンバーは感じていたのかもしれない。
それはある意味、彼女たちにとっての、自己防衛。
最終的には私自身、「突然来て、突然帰っていき、自分勝手な話やんな、、、、」と思ってしまった。



そんな感じで、不完全燃焼に終わってしまった、バンブーグループとの活動。
いつか、「あの時、ヨーコがこんなこと言ってたなぁ」と思い出して役に立つ日がくるといいんやけど。


それでも、「ヨーコから様々なことを学んだよ、アリガトウ」「これからもずっと、ヨーコが教えてくれたことは、続いていくからね」といってくれる女性グループや、配属先の仲間がいてくれたことは、活動してきて本当に良かったなぁと思える、私の支えやった。



失敗して、立ち止まって、反省して、上を向いて、また歩いていく。
辛かったこと、苦しかったこと、それ以上の喜び。
いつか苦い経験もすべて、誰かのために、生かせたらいいなと思う。
そういう意味で、なかなかできない経験をさせてくれた、JICAの協力隊事業には本当に感謝している。



そして、苦しかった時期、話を聞いてくれた方々、声をかけてくれた友人に本当に感謝。


日本や世界の国々の友達からいただいたお手紙33通はすべて、宝物として大事に保管しています。
ブログにいただいたコメントもひとつひとつ覚えています。

ありがとうございます。


タンザニアは、甘えん坊に優しい国やと思う。
自分で言うのもなんやけど、私は甘え上手な方なので、それですぐに現地に馴染めたのかなぁという気もしてる。
甘えさせてくれた、同僚に、帰国してからも連絡をくれるタンザニアの親友に、ありがとう。
これからもよろしくね。

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Profile
HN:
蓉子
性別:
女性
職業:
2013年6月まで青年海外協力隊(村落開発普及員)として活動。
趣味:
作る食べる走る喋る
自己紹介:
食べるの喋るの大好きな蓉子のアフリカ日記。
2011年6月から二年間、タンザニアのムベヤで活動中!!

2013年6月、無事日本へ帰国。
これからもパワフルな日々を送る予定。
だいぶ肥えたので、しばらくタイトルを"Yokomoko in Africa"から"Yokomoko on Diet"に変更。
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