カテゴリー「日記」の記事一覧
- 2025.04.04 [PR]
- 2013.10.26 アサンテーニ・サーナ
- 2013.10.09 変
- 2013.09.25 Home Sweet Home
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東京へ引越してきて、すぐに新しい職場で勤務開始した。
新しい職場は、めちゃんこ国際色豊かなところ。
日本語だけじゃなく、英語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語、ロシア語、モンゴル語、スワヒリ語・・・など、色んな言語が飛び交う。
職場の方々は、みんなすごくオープンで、優しくて、おもしろい。
一人ひとりのバックグランドが多様すぎて、協力隊経験者でも違和感なくスゥーっと入っていける心地のいい職場。
アフリカを主な市場としている商社で、仕事内容もアフリカに関係しているので、それだけでわくわくする。
日本時間午後3時は、時差6時間のアフリカの人たちが働き始める時間なので、それから夜まで電話が鳴り止まないほど問い合わせがくる。
インフラがまだまだ未整備なアフリカ。
電話環境も、ネット環境も、法規制も、金融機関の信頼性も、日本に比べると不足していることは確か。
プリペード方式の携帯電話で国際電話をかけてくるので、話している途中とブツっと切れてしまう。
またかかってきても、別の人が出るので、一から説明し直し・・・
ネットカフェを使っていて、ハッキング被害に合う人も・・・
それでも、こうして対等な関係でビジネスしようと頑張っている人たちが増えてきてることは、なんだかこっちが元気もらえる。
ビジネスの話だけではなく、「日本はどう?」「こっちは暑いけど、日本は寒いんじゃない?」と、世間話をして笑わせてくれる人もいる。
私がスワヒリ語で話しかけると、ほとんどの人が嬉しそうに名前を聞いてきてくれる。
地域によっては英語が全然聞き取れないようなアクセントもあるけど、陽気さと温かさは健在で、忙しくてもイライラしない。
今の仕事は、そんな風に、アフリカの経済成長を肌身を持って感じることができて、おもしろい。
アフリカと一緒に成長している会社なので、新入社員の意見も、お客さんの意見も、どんどん取り入れようとする姿勢と社風で、それもすごく気に入っている。
協力隊活動を終えて帰ってきて、進路のことも色々と悩んだけれど、やりがいのある仕事、おもしろい職場に恵まれて、ホッとしてるし、わくわくしてる。
これからもアフリカの人々と関わり続けられることを嬉しく思う。
やっぱり好きなんやな、わたし、アフリカ。
何が好きなの?何でアフリカなの?って聞かれたら、ほんと自分でも答えられないんやけど。
協力隊としてタンザニアに渡ってから、帰国後もだらだらと書いてきたブログやけども、協力隊としての私の活動は一区切りついたので、ここらでブログをお休みしたいと思います。
今まで"Yokomoco in Africa"を愛読してくれていた方々(がいると信じて・・・)、どうもありがとうございました。
遠く離れた国で、ふと寂しくなったとき、葛藤があったとき、聞いてほしいという衝動にかられたとき、嬉しいことがあったとき、誰かと共有したいと思ったとき、日本や他国にいる友達に感じたことを発信することのできるブログの存在は、私にとっては大事なものでした。
これからも、また遠くへ行くことがあれば、ブログ再開するかもしれません。
日本に帰ってきた今は、ぜひお会いしてお話を聞いていただければと思います。
タンザニアの絵画などの作品を飾っている我が家にもぜひお越しあれー。
皆さんにとって、アフリカがより身近な存在になっていたらいいなぁ。
アサンテーニ・サーナ!!(どうもありがとうございました!!)
新しい職場は、めちゃんこ国際色豊かなところ。
日本語だけじゃなく、英語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語、ロシア語、モンゴル語、スワヒリ語・・・など、色んな言語が飛び交う。
職場の方々は、みんなすごくオープンで、優しくて、おもしろい。
一人ひとりのバックグランドが多様すぎて、協力隊経験者でも違和感なくスゥーっと入っていける心地のいい職場。
アフリカを主な市場としている商社で、仕事内容もアフリカに関係しているので、それだけでわくわくする。
日本時間午後3時は、時差6時間のアフリカの人たちが働き始める時間なので、それから夜まで電話が鳴り止まないほど問い合わせがくる。
インフラがまだまだ未整備なアフリカ。
電話環境も、ネット環境も、法規制も、金融機関の信頼性も、日本に比べると不足していることは確か。
プリペード方式の携帯電話で国際電話をかけてくるので、話している途中とブツっと切れてしまう。
またかかってきても、別の人が出るので、一から説明し直し・・・
ネットカフェを使っていて、ハッキング被害に合う人も・・・
それでも、こうして対等な関係でビジネスしようと頑張っている人たちが増えてきてることは、なんだかこっちが元気もらえる。
ビジネスの話だけではなく、「日本はどう?」「こっちは暑いけど、日本は寒いんじゃない?」と、世間話をして笑わせてくれる人もいる。
私がスワヒリ語で話しかけると、ほとんどの人が嬉しそうに名前を聞いてきてくれる。
地域によっては英語が全然聞き取れないようなアクセントもあるけど、陽気さと温かさは健在で、忙しくてもイライラしない。
今の仕事は、そんな風に、アフリカの経済成長を肌身を持って感じることができて、おもしろい。
アフリカと一緒に成長している会社なので、新入社員の意見も、お客さんの意見も、どんどん取り入れようとする姿勢と社風で、それもすごく気に入っている。
協力隊活動を終えて帰ってきて、進路のことも色々と悩んだけれど、やりがいのある仕事、おもしろい職場に恵まれて、ホッとしてるし、わくわくしてる。
これからもアフリカの人々と関わり続けられることを嬉しく思う。
やっぱり好きなんやな、わたし、アフリカ。
何が好きなの?何でアフリカなの?って聞かれたら、ほんと自分でも答えられないんやけど。
協力隊としてタンザニアに渡ってから、帰国後もだらだらと書いてきたブログやけども、協力隊としての私の活動は一区切りついたので、ここらでブログをお休みしたいと思います。
今まで"Yokomoco in Africa"を愛読してくれていた方々(がいると信じて・・・)、どうもありがとうございました。
遠く離れた国で、ふと寂しくなったとき、葛藤があったとき、聞いてほしいという衝動にかられたとき、嬉しいことがあったとき、誰かと共有したいと思ったとき、日本や他国にいる友達に感じたことを発信することのできるブログの存在は、私にとっては大事なものでした。
これからも、また遠くへ行くことがあれば、ブログ再開するかもしれません。
日本に帰ってきた今は、ぜひお会いしてお話を聞いていただければと思います。
タンザニアの絵画などの作品を飾っている我が家にもぜひお越しあれー。
皆さんにとって、アフリカがより身近な存在になっていたらいいなぁ。
アサンテーニ・サーナ!!(どうもありがとうございました!!)
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タンザニア生活を終え、帰国して早3ヶ月ちょい。
むこうで過ごした2年の間に、得た収穫はいろいろとある。
その中でも自分にとって大きな収穫の一つ。
それは、「当たり前は当たり前じゃない」って感じられるようになったこと。
日本という自分の生まれ育った地を、客観的に見てみて、「日本って変なんやな」って気づけたこと。
どうゆうところが?って聞かれると、それぞれ感じ方が違うし伝え難いんやけど、少なくとも自分にとっての「当たり前」は、全然「当たり前」ちゃうかった。
最初の頃は、遠くて、発展途上で、異端な「アフリカやから」、日本や他の国とは違うんやって思ってた。
でも、次第に、「アフリカやから」って考えてしまうことが、とても「日本人」的な考え方なんやなって思った。
タンザニアと日本では似ているけれども、ヨーロッパとは違っている部分もあれば。
タンザニアとヨーロッパで似ているけれども、日本とは違っている部分もあるわけで。
日本とヨーロッパではよく知られていることが、タンザニアでは知られていなかったり。
「日本」とか「ヨーロッパ」も多様なわけで、きっと、その国、その地域、その家族、その個人・・・「当たり前」は人の数だけあるってことなんやろう。
明日から、再び実家を出て、新しい生活の準備を始める。
就職活動中に面接で、「かなり変態だねー」と言われ、びっくりしたことがあった。
自分では「変」なことを言ったつもりは何ひとつないんやけど、周りの人から見たら「変」なことが多いよう。
幸い、「変」は私にとっても、その面接官にとっても褒め言葉やった。
「変」と言っておきながら一緒に働こうと声を掛けてくれる、おもしろい会社に期待でわくわく。
これからも、日々の変化を見逃すことなく、楽しめたらいいなぁ。
むこうで過ごした2年の間に、得た収穫はいろいろとある。
その中でも自分にとって大きな収穫の一つ。
それは、「当たり前は当たり前じゃない」って感じられるようになったこと。
日本という自分の生まれ育った地を、客観的に見てみて、「日本って変なんやな」って気づけたこと。
どうゆうところが?って聞かれると、それぞれ感じ方が違うし伝え難いんやけど、少なくとも自分にとっての「当たり前」は、全然「当たり前」ちゃうかった。
最初の頃は、遠くて、発展途上で、異端な「アフリカやから」、日本や他の国とは違うんやって思ってた。
でも、次第に、「アフリカやから」って考えてしまうことが、とても「日本人」的な考え方なんやなって思った。
タンザニアと日本では似ているけれども、ヨーロッパとは違っている部分もあれば。
タンザニアとヨーロッパで似ているけれども、日本とは違っている部分もあるわけで。
日本とヨーロッパではよく知られていることが、タンザニアでは知られていなかったり。
「日本」とか「ヨーロッパ」も多様なわけで、きっと、その国、その地域、その家族、その個人・・・「当たり前」は人の数だけあるってことなんやろう。
明日から、再び実家を出て、新しい生活の準備を始める。
就職活動中に面接で、「かなり変態だねー」と言われ、びっくりしたことがあった。
自分では「変」なことを言ったつもりは何ひとつないんやけど、周りの人から見たら「変」なことが多いよう。
幸い、「変」は私にとっても、その面接官にとっても褒め言葉やった。
「変」と言っておきながら一緒に働こうと声を掛けてくれる、おもしろい会社に期待でわくわく。
これからも、日々の変化を見逃すことなく、楽しめたらいいなぁ。
三連休は、母と、父のいる熊本へ行ってきた。
単身赴任している父のマンションで、親子三人、川の字になって寝た。
こんなんするの、いつ以来やろ??
日曜日は、何回行っても飽きることのない南阿蘇へ。
ススキや稲穂が大地を黄色く染め、秋の風が舞い込んでくる季節。
ここに来るたびに、日本は美しい国だなぁ。
こんな美しい国に生まれて幸せやなと思う。
長陽駅の、資本ケーキもおいしいしね。
月曜日は、長崎県雲仙まで足を延ばした。
火山噴火で40人以上の人が命を失った雲仙岳が有名やけど、棚田と海の美しいところやった。
父の故郷は、熊本県人吉。
母の故郷は、北九州。
私は北九州で生まれ、大阪で育ち、その後アフリカへ行ったりもしたし、故郷というものがよくわからない。
父は転勤が多く、高校生のときから一緒に住んでいないし、大学に入ってからは一人暮らしになった。
故郷がないということにコンプレックスを持つときもあった。
けども、自分の「故郷」を考えたとき、それは場所ではなくて、出会ってきた人々やと思った。
こうして、父や母に会うことが故郷に帰ること。
家族、友達、恩師・・・そうした大切な人々に会えることが故郷に帰ること。
そう考えると、私にはきっと、人より沢山の故郷を持ってる。
もうコンプレックスに思うことなんてないのかも。
父は社交的やけど、あまりベラベラ喋る方ではなくて、うちの家族の中では大人しいほう。
私と父が直接連絡をとることはあまりなく、いつも母を挟んで連絡を取り合ってる。
(といっても、決して仲が悪いわけではなく、むしろ仲の良い方やと私は密かに思ってる。じゃあ連絡取れよって話やけども)
協力隊に行くことも、派遣国が決定してからの事後報告。
それでも私がやることに反対したり、「こうしろ」「ああしろ」と言われたことは一回もなく、いつも「ふ~ん」という感じ。
温かく見守ってくれていると捉えていいんかいな?ん?関心薄いだけ?
黙々と家族のために働いてくれてきた父。
小さい頃はじゃれ合いから、いつの間にか喧嘩する、なんてことがよぉあったなぁ。
反抗期はきっと長かったと思うけど、今では父のことを尊敬しちゃったりしてる。
母は芯がしっかりとしていて、堅実。
冒険するタイプではなくて、地に足着いて着実に歩いていく。
私のようなアドベンチャーな人生に、母は呆れてるかもしれないけど、それでもいつも応援してくれる。
そんな母が、留学先のオーストラリアや、派遣先のタンザニアへ来てくれたのは、めっちゃ嬉しかった。
私以上に頑固なところがある母なので、お互い譲れなくって喧嘩することもあしょっちゅうやけど、色々と心配してくれてるんやって知ってる。
人を笑わせたりするのが好きなのは、陽気な母の影響もあると思う。
何か悩みがあるとき、愚痴りたいとき、おもしろい話をしたいとき、いつも聞いてくれるのは母。
きっと私みたいなフラフラしてる人間は、母にとったら心配だらけやろう。
それでも、いつも応援してくれる母に感謝してる。
お互い、なかなか素直になれんけどね。
タンザニアから帰ってきて、早三ヶ月。
右へ行ったり、左へ行ったりやったけど、ひとまず進路が決まった。
国際交流から始まり、国際協力へと興味が拡がった、大学時代。
協力隊を経て、私の関心は国際協力から、国際ビジネスへと拡がっていった。
援助ではなく、ビジネスとして、平等な立場で、これからもアフリカに関わることができる。
そんな機会をありがたく思う。
長いようで短かった、母との二人暮らし。
きっと、お互い寂しくなるね。
父と母のことを書いたのは、普段、素直に言えないことを伝えるため。
本当は面と向かって言うべきなんやろうけど、それは、自分でまた稼げるようになってからにしよう。
父母含め、いつも元気をくれる皆さん、支えてくれる皆さん、本当にありがとうございます。
私も父と母のような、いつまでも仲良しさんな夫婦になれるといいなぁ。
これからは、母のリクエストにお答えして、人生最大の就職活動とも言われる婚活にもエネルギーを注がなくては。
単身赴任している父のマンションで、親子三人、川の字になって寝た。
こんなんするの、いつ以来やろ??
日曜日は、何回行っても飽きることのない南阿蘇へ。
ススキや稲穂が大地を黄色く染め、秋の風が舞い込んでくる季節。
ここに来るたびに、日本は美しい国だなぁ。
こんな美しい国に生まれて幸せやなと思う。
長陽駅の、資本ケーキもおいしいしね。
月曜日は、長崎県雲仙まで足を延ばした。
火山噴火で40人以上の人が命を失った雲仙岳が有名やけど、棚田と海の美しいところやった。
父の故郷は、熊本県人吉。
母の故郷は、北九州。
私は北九州で生まれ、大阪で育ち、その後アフリカへ行ったりもしたし、故郷というものがよくわからない。
父は転勤が多く、高校生のときから一緒に住んでいないし、大学に入ってからは一人暮らしになった。
故郷がないということにコンプレックスを持つときもあった。
けども、自分の「故郷」を考えたとき、それは場所ではなくて、出会ってきた人々やと思った。
こうして、父や母に会うことが故郷に帰ること。
家族、友達、恩師・・・そうした大切な人々に会えることが故郷に帰ること。
そう考えると、私にはきっと、人より沢山の故郷を持ってる。
もうコンプレックスに思うことなんてないのかも。
父は社交的やけど、あまりベラベラ喋る方ではなくて、うちの家族の中では大人しいほう。
私と父が直接連絡をとることはあまりなく、いつも母を挟んで連絡を取り合ってる。
(といっても、決して仲が悪いわけではなく、むしろ仲の良い方やと私は密かに思ってる。じゃあ連絡取れよって話やけども)
協力隊に行くことも、派遣国が決定してからの事後報告。
それでも私がやることに反対したり、「こうしろ」「ああしろ」と言われたことは一回もなく、いつも「ふ~ん」という感じ。
温かく見守ってくれていると捉えていいんかいな?ん?関心薄いだけ?
黙々と家族のために働いてくれてきた父。
小さい頃はじゃれ合いから、いつの間にか喧嘩する、なんてことがよぉあったなぁ。
反抗期はきっと長かったと思うけど、今では父のことを尊敬しちゃったりしてる。
母は芯がしっかりとしていて、堅実。
冒険するタイプではなくて、地に足着いて着実に歩いていく。
私のようなアドベンチャーな人生に、母は呆れてるかもしれないけど、それでもいつも応援してくれる。
そんな母が、留学先のオーストラリアや、派遣先のタンザニアへ来てくれたのは、めっちゃ嬉しかった。
私以上に頑固なところがある母なので、お互い譲れなくって喧嘩することもあしょっちゅうやけど、色々と心配してくれてるんやって知ってる。
人を笑わせたりするのが好きなのは、陽気な母の影響もあると思う。
何か悩みがあるとき、愚痴りたいとき、おもしろい話をしたいとき、いつも聞いてくれるのは母。
きっと私みたいなフラフラしてる人間は、母にとったら心配だらけやろう。
それでも、いつも応援してくれる母に感謝してる。
お互い、なかなか素直になれんけどね。
タンザニアから帰ってきて、早三ヶ月。
右へ行ったり、左へ行ったりやったけど、ひとまず進路が決まった。
国際交流から始まり、国際協力へと興味が拡がった、大学時代。
協力隊を経て、私の関心は国際協力から、国際ビジネスへと拡がっていった。
援助ではなく、ビジネスとして、平等な立場で、これからもアフリカに関わることができる。
そんな機会をありがたく思う。
長いようで短かった、母との二人暮らし。
きっと、お互い寂しくなるね。
父と母のことを書いたのは、普段、素直に言えないことを伝えるため。
本当は面と向かって言うべきなんやろうけど、それは、自分でまた稼げるようになってからにしよう。
父母含め、いつも元気をくれる皆さん、支えてくれる皆さん、本当にありがとうございます。
私も父と母のような、いつまでも仲良しさんな夫婦になれるといいなぁ。
これからは、母のリクエストにお答えして、人生最大の就職活動とも言われる婚活にもエネルギーを注がなくては。