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帰ってきたどー!!
ふぅ、暑かったダルから一転、ムベヤは涼しくて過ごしやすい~。
さぁーて、旅の報告を簡単に。
日本からゲストがやってきたよー!
そのビッグゲストとはー!

タージン!!
・・・じゃなくて、私の大親友、イナトミ!!
アフリカへ出発の日、一人で関空までお見送りに来てくれた彼女。
今回も単身ではるばるタンザニアまでやってきてくれたー。
よぉお越しくださいましたなぁ。
ダルではメリナの実家でお世話になり、

タンザニアの家族と親友イナトミの夢のショット。
その後、二人でザンジバル島へ!
ザンジバルはタンザニア東部インド洋に浮かぶ島で、その昔オマーンのスルタンに支配されてた歴史をもち、アラブ文化の影響が濃く残ってる。
奴隷・象牙・香辛料貿易の拠点としても有名。スパイスの輸出量は今でも世界一。
1964年にタンガニーカと合併してタンザニア連合共和国になるまで、ザンジバルは独立国やったのだよ。
そんな歴史もあって、私の知ってるタンザニアとは違った空気の流れるザンジバル。
ザンジバル東部に位置するパジェのキレイな海でー、

シュノーケリングして、夢にまで見た、ニモと戯れたり!
村の、こーんな素敵カップルのお家でー、

ザンジバルの手作りお菓子をご馳走になったり!
ラマダン明けで滞在中4日間は連日のお祭り騒ぎ!
そう、アラブの影響が濃く残るザンジバル、ほとんどがイスラム教徒。
夕日がキレイなフォロダン公園は、日本のお花見のように、家族連れがゴザを敷いてご馳走を食べてたー。

魚介類の料理を堪能したりー、
ストーンタウンで買い物したりー、
ザンジバルの友人と偶然再会したりー、
スパイス畑に行ったりー、
果物20種類くらい食べたりー、
たらふく食べて、へとへとになるまで歩いて、充実した1週間やった~!
なにより、大好きな友達と毎日思う存分、語り明かせたことが嬉しかった。
イナトミ、ありがとー!
ザンジバルで、日焼けをお土産にいただきました。

ひ~、いらんっ!
ふぅ、暑かったダルから一転、ムベヤは涼しくて過ごしやすい~。
さぁーて、旅の報告を簡単に。
日本からゲストがやってきたよー!
そのビッグゲストとはー!
タージン!!
・・・じゃなくて、私の大親友、イナトミ!!
アフリカへ出発の日、一人で関空までお見送りに来てくれた彼女。
今回も単身ではるばるタンザニアまでやってきてくれたー。
よぉお越しくださいましたなぁ。
ダルではメリナの実家でお世話になり、
タンザニアの家族と親友イナトミの夢のショット。
その後、二人でザンジバル島へ!
ザンジバルはタンザニア東部インド洋に浮かぶ島で、その昔オマーンのスルタンに支配されてた歴史をもち、アラブ文化の影響が濃く残ってる。
奴隷・象牙・香辛料貿易の拠点としても有名。スパイスの輸出量は今でも世界一。
1964年にタンガニーカと合併してタンザニア連合共和国になるまで、ザンジバルは独立国やったのだよ。
そんな歴史もあって、私の知ってるタンザニアとは違った空気の流れるザンジバル。
ザンジバル東部に位置するパジェのキレイな海でー、
シュノーケリングして、夢にまで見た、ニモと戯れたり!
村の、こーんな素敵カップルのお家でー、
ザンジバルの手作りお菓子をご馳走になったり!
ラマダン明けで滞在中4日間は連日のお祭り騒ぎ!
そう、アラブの影響が濃く残るザンジバル、ほとんどがイスラム教徒。
夕日がキレイなフォロダン公園は、日本のお花見のように、家族連れがゴザを敷いてご馳走を食べてたー。
魚介類の料理を堪能したりー、
ストーンタウンで買い物したりー、
ザンジバルの友人と偶然再会したりー、
スパイス畑に行ったりー、
果物20種類くらい食べたりー、
たらふく食べて、へとへとになるまで歩いて、充実した1週間やった~!
なにより、大好きな友達と毎日思う存分、語り明かせたことが嬉しかった。
イナトミ、ありがとー!
ザンジバルで、日焼けをお土産にいただきました。
ひ~、いらんっ!
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5月13日に「我が家、停電の理由」っていう記事を投稿したけれども、
http://yokomoco29.cooklog.net/Date/20120513/1/#entry125
3ヶ月以上経った今も、電気戻してもらえーん。
お隣さんから電気を少しばかし盗んで生活しちょります。
でも、ここ三日間は近隣地域全体が停電。
故に9時就寝。
さて、明日からしばらく旅に出るぜよ。
大・大・大好きなあの人に会いにっ。
嬉しくて、鼻血出そう。
ブー!
その間、我が家はこいつに守ってもらお。

なんか憎めないヤモリくん。
(ヤモリ?イモリ?タモリ?どれか知らんけど)
帰ってきたら、また旅報告でも。
http://yokomoco29.cooklog.net/Date/20120513/1/#entry125
3ヶ月以上経った今も、電気戻してもらえーん。
お隣さんから電気を少しばかし盗んで生活しちょります。
でも、ここ三日間は近隣地域全体が停電。
故に9時就寝。
さて、明日からしばらく旅に出るぜよ。
大・大・大好きなあの人に会いにっ。
嬉しくて、鼻血出そう。
ブー!
その間、我が家はこいつに守ってもらお。
なんか憎めないヤモリくん。
(ヤモリ?イモリ?タモリ?どれか知らんけど)
帰ってきたら、また旅報告でも。
久しぶりにエリックと話した。
エリックっていうのは、パースに留学してたときの友達。
でもオーストラリア出身の人じゃなくて、アフリカの人。
タンザニアの隣国、ブルンジっていう国の人。
私が留学してたのが2006年やから、もう7年も前かぁ。
いやぁ、歳とったなぁ。
私がアフリカに興味を持ったきっかけは、パースでアフリカ出身の友達がたくさんいたことにあると思う。
寮にはザンビア、ジンバブエ、南アフリカ出身の友達がいたし、なによりエリックとの出会いは大きかった。
エリックは、同じ大学でもなんでもなかったけど、パースの町で話しかけられたことがきっかけで友達になった。
最初は警戒心丸出しで接したけど、「日本人」というとすごく嬉しそうに「日本人には感謝してるんだー」と話し、それからアフリカのことを色々と教えてもらった。
彼はブルンジから政治的理由で逃げてきた難民で、ケニアの難民キャンプに避難してきた際、日本のとあるNGOのプロジェクトで日本人にすごく世話になったそう。
それで、私が「日本人」というだけで好意的に接してくれた。
留学時代、懐かしいなぁ。
帰国した後も連絡はとってたけど、タンザニアに来てからは、到着後に一回話したくらいやった。
今朝、「久しぶりに話したい~!電話番号教えて~!」って連絡がきて、スカイプで話した。
インターネットってほんま便利やなぁ。
これのおかげで、世界の友達と気軽に連絡がとれる。
1年ぶりの会話は、それはもう不思議な感じやった。
オーストラリアにいるブルンジ出身のエリックと、タンザニアにいる日本出身の私。
留学当時は英語で会話してた私たちが、今日の会話はスワヒリ語。
「すっかり、アフリカ人になったなぁ~!スワヒリ語完璧やん!」って、嬉しそうに言われた。
私も、「エリックがスワヒリ語こんなに喋れるなんて知らんかった~!わはははー!」と爆笑。
不思議すぎる。
ケニアのスワヒリ語って、英語と混ざって文法とか崩れてるから、ケニア滞在が長かった彼はスワヒリ語が苦手なんやと思ってたー。
でも、タンザニアにもウガンダにも数ヶ月だけ住んだことある彼は流暢なスワヒリ語を話した。
ブルンジのスワヒリ語も、タンザニアのスワヒリ語も、ケニアのスワヒリ語も喋れるらしい。
なんか今まで英語で話してたときよりも、しっくりくる~。
なんちゅーか、こうゆうのって、言語を学ぶ醍醐味やなぁと思う。
新しい言語を知ることで、より多くの人と会話できたり、より親しく感じられたり。
読める本の数が増え、新しい言葉や表現に出会ったり。
お互いの近況報告を簡単にしただけやけど、楽しかった。
彼はブリスベンで学士号を無事修了し、今は職探しに苦労してるそう。
「アフリカみたいに、ちょっとトマト植えて、それ売って稼ぐなんてことも、ここでは難しいから~ははは」
「確かに、こっちやと気軽に商売できるけど、オーストラリアや日本ではそうもいかんもんねぇ~」
と、アフリカ生活を話題に話すのも不思議な感じ。
まだまだ苦労はあるにしろ、ここにくるまでも大変やったやろうなぁと思うと、大学卒業のニュースは嬉しかった。
オーストラリアで難民認定を受け、永住権も持ってる彼やけど、祖国が恋しいやろうし、帰りたいやろうなぁと思う。
私と話して、こうゆう風にアフリカと繋がっていられるのが、嬉しいんやろなぁ。
私もなんか、初心に帰れたっ。
遠くにいても、近くにいても、大切な時間をともにした人たちとは繋がっていられるもんやなぁ。
エリックっていうのは、パースに留学してたときの友達。
でもオーストラリア出身の人じゃなくて、アフリカの人。
タンザニアの隣国、ブルンジっていう国の人。
私が留学してたのが2006年やから、もう7年も前かぁ。
いやぁ、歳とったなぁ。
私がアフリカに興味を持ったきっかけは、パースでアフリカ出身の友達がたくさんいたことにあると思う。
寮にはザンビア、ジンバブエ、南アフリカ出身の友達がいたし、なによりエリックとの出会いは大きかった。
エリックは、同じ大学でもなんでもなかったけど、パースの町で話しかけられたことがきっかけで友達になった。
最初は警戒心丸出しで接したけど、「日本人」というとすごく嬉しそうに「日本人には感謝してるんだー」と話し、それからアフリカのことを色々と教えてもらった。
彼はブルンジから政治的理由で逃げてきた難民で、ケニアの難民キャンプに避難してきた際、日本のとあるNGOのプロジェクトで日本人にすごく世話になったそう。
それで、私が「日本人」というだけで好意的に接してくれた。
留学時代、懐かしいなぁ。
帰国した後も連絡はとってたけど、タンザニアに来てからは、到着後に一回話したくらいやった。
今朝、「久しぶりに話したい~!電話番号教えて~!」って連絡がきて、スカイプで話した。
インターネットってほんま便利やなぁ。
これのおかげで、世界の友達と気軽に連絡がとれる。
1年ぶりの会話は、それはもう不思議な感じやった。
オーストラリアにいるブルンジ出身のエリックと、タンザニアにいる日本出身の私。
留学当時は英語で会話してた私たちが、今日の会話はスワヒリ語。
「すっかり、アフリカ人になったなぁ~!スワヒリ語完璧やん!」って、嬉しそうに言われた。
私も、「エリックがスワヒリ語こんなに喋れるなんて知らんかった~!わはははー!」と爆笑。
不思議すぎる。
ケニアのスワヒリ語って、英語と混ざって文法とか崩れてるから、ケニア滞在が長かった彼はスワヒリ語が苦手なんやと思ってたー。
でも、タンザニアにもウガンダにも数ヶ月だけ住んだことある彼は流暢なスワヒリ語を話した。
ブルンジのスワヒリ語も、タンザニアのスワヒリ語も、ケニアのスワヒリ語も喋れるらしい。
なんか今まで英語で話してたときよりも、しっくりくる~。
なんちゅーか、こうゆうのって、言語を学ぶ醍醐味やなぁと思う。
新しい言語を知ることで、より多くの人と会話できたり、より親しく感じられたり。
読める本の数が増え、新しい言葉や表現に出会ったり。
お互いの近況報告を簡単にしただけやけど、楽しかった。
彼はブリスベンで学士号を無事修了し、今は職探しに苦労してるそう。
「アフリカみたいに、ちょっとトマト植えて、それ売って稼ぐなんてことも、ここでは難しいから~ははは」
「確かに、こっちやと気軽に商売できるけど、オーストラリアや日本ではそうもいかんもんねぇ~」
と、アフリカ生活を話題に話すのも不思議な感じ。
まだまだ苦労はあるにしろ、ここにくるまでも大変やったやろうなぁと思うと、大学卒業のニュースは嬉しかった。
オーストラリアで難民認定を受け、永住権も持ってる彼やけど、祖国が恋しいやろうし、帰りたいやろうなぁと思う。
私と話して、こうゆう風にアフリカと繋がっていられるのが、嬉しいんやろなぁ。
私もなんか、初心に帰れたっ。
遠くにいても、近くにいても、大切な時間をともにした人たちとは繋がっていられるもんやなぁ。